2019年研修旅行 世界遺産 日光の社寺と周辺散策

 今年の研修旅行は7月1日から2日にかけて1泊2日で日光周辺を訪れました。梅雨入り直後で天気が心配でしたが、それほどの雨に遭うこともなく、むしろ熱中症の心配なく歩き回れたのは幸いでした。
 参加したメンバーの感想を掲載します。ここ数年は被災地視察がテーマだった研修旅行ですが、今年は「なぜ日光?」の疑問の声も。感想をご覧いただければその疑問にもお答えできると思います。
(神奈川県環境学習リーダー会エネルギー部会との共同開催です。)

  • 全員が交代で観光ガイドを
  • 戦国時代ミステリー
  • 「見ざる・言わざる・聞かざる」の教え
  • 東照宮は平和への祈り
  • 日光・歴史をささえる?の存在と日帰り旅
  • 日光旧街道ウォーキング

全員が交代で観光ガイドを

 昨年の研修旅行(九州)に引き続き今回も幹事を務めることになった。1日目は世界遺産・日光の社寺(輪王寺、東照宮、二荒山神社)の見学を行った。2社1寺で計18ヶ所ある見どころについて、プロの観光ガイドに頼らず参加者全員にひとり2、3ヶ所ずつ分担し、事前学習をした上で見学当日は交代で説明して貰うことにした。その結果、説明者によって個性や特色が出るので、最後まで飽きることなく聞くことができたのは大変良かったと思う。
 自分が担当して調査した中で、最も意外に思ったのは、二荒山神社の大国殿である。ここに安置されているのは大黒天(大黒様)であるが、大黒様と言えばえびす顔でいつもにこにこという印象しかなかった。しかし、大黒天はもともとインド・ヒンズー教の「マハーカーラ」という神で「破壊や戦闘の神」であり、激しい憤怒の形相をしているという。日本では「マハー」が「大いなる」を、「カーラ」が「暗黒」を意味することから「大黒天」と名付けられ、鎌倉時代までは「仏教の守護神」として厳しい形相で描かれていた。室町時代に「豊作」のご利益を持った七福神の1柱として崇められるようになり、穏やかな表情で描かれるようになったとのこと。
 現在の大黒様は大黒頭巾をかぶり、大きな福袋を背負い、打出の小槌を持って米俵に乗っている姿でお馴染みだが、前述の厳しい形相とギャップが大きく少々驚かされた。

戦国時代ミステリー

 私の場合、修学旅行を含めると4回目の日光東照宮の旅。
 旅の一日目は日光東照宮。宿題は東照宮「眠り猫」と「鳴き龍」。「眠り猫」は雀すら天敵の猫の傍で羽を休めている平和の象徴であり、一方では寝たふり家康の得意技の象徴とも言われている。「鳴き龍」の部屋の天井には日本画家の龍(二代目)が睨んでいる。鳴き龍の謂れとして、鳩除けのために大きな音を鳴らすためという説も面白い。
 日光といえば「敵は本能寺」に象徴される明智光秀と徳川家康との関係がミステリー。名所・明智平もある。家康の黒幕として傍で日光をデザインした南光坊天海も謎が深い。天海は実は殺されなかった明智光秀だった説も好奇心を誘う。三代将軍家光の乳母であった大奥春日局(かすがのつぼね、お福)は明智重臣 斎藤利三の娘であるが、光秀の血縁であり織田信長の妻(お濃)の血縁でもあるらしい。
 家康の天敵であった豊臣秀吉は何と「3猿」として神厩に彫刻されている。恐るべし戦国時代ミステリーは酔いを深めた。
 旅の二日目は霧降高原を散策し、2時間近く杉並木を歩き酒蔵・渡邊佐平商店で銘酒日光誉の試飲を愉しんだ。疲れとほろ酔いのまま、日光の一泊二日旅は謎を解決できないまま、帰途についた。

「見ざる・言わざる・聞かざる」の教え

 今回の研修は宿題付の楽しい旅行でした。日光東照宮の建物には動物の木彫像が多く、これらの動物のほとんどが平和を象徴しています。私の受け持ちはその内の神厩舎(しんきゅうしゃ)の三猿で、「見ざる・言わざる・聞かざる」で有名な三匹の猿の彫刻です。神馬をつなぐ厩である神厩舎に彫られています。昔から猿が馬を守るといわれていることから作られたそうです。また有名な三猿以外にも、神厩舎には全部で8枚の猿の彫刻があり、これらは人間の一生を風刺しているのだそうです。猿たちが表現する人間の物語をイメージし、ひいては人間の平和な一生の過ごし方を説いたものと言われています。
 「見ざる、言わざる、聞かざる」はこの神厩舎に彫られた1枚に過ぎません。「見ざる、言わざる、聞かざる」は「幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えであり、転じて「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えにも繋がっています。
 神厩舎では今でも実際に神馬が飼われており、その姿を見ることもできますが、今回は見ることが出来ませんでした。神馬とは神様の乗り物、神の使いを意味します。日光東照宮の神馬は雄の白馬に限られ、初代の神馬は徳川家康が関が原の戦いで乗った馬なのだそうです。神厩舎に立ち寄ったら三猿だけでなく、ぜひこの神馬にも注目してみてください。
 もう一つの宿題は三神庫(さんじんこ)の想像の象です。上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言いこの中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。また、三神庫のうちの上神庫側面上方にある彫刻が「想像の象」です。狩野探幽が想像だけで下絵を書いたとことからこの呼び名が付けられました。よく見ると耳の形や尻尾の形が違うのが分かります。実物を見たことがなくこれだけのものを書き上げた江戸時代の絵師の想像力はお見事です。

東照宮は平和への祈り

 東照宮と言うと、徳川幕府の権威と権力を誇示するために造られた装飾過剰でごちゃごちゃした建築群といった印象で、大和の古寺のような伸びやかさ、雄渾さが感じられず、あまり好きにはなれませんでした。しかし研修に参加しメンバーの説明を聞き、東照宮の造営には戦乱のない、平和が続く世を築く事への想いが込められていることを知り少し見方が変わりました。
 回廊の眠り猫の裏には雀の遊ぶ姿があり強い者も弱い者も平和に共存できる、表門の木鼻等に多く見られる伝説上の獣である獏は鉄や銅を食べてしまうので武器を作ることが出来ず戦乱が起こらず平和に、また神厩舎の三猿は権力に対する盲従の象徴ではなく、皆が協力しあって送る平和な人生を表した8枚のパネルの一部であり、「悪事に耳を貸さず、染まらず、人を悪し様に言わず」を意味するとか――諸説あるようですが。江戸時代は最末期までは戦乱もなく、文化の担い手が権力者から大衆に移った時代でもあり、家康公の想いが叶えられた? SDGsの精神にも通じるところがあると言ったら飛躍しすぎでしょうか。
 日光駅から下今市駅までの杉並木を歩き、街道沿いに並ぶ杉の巨木に圧倒されました。開発などの影響で並木が途切れ途切れになってしまったこと、木の痛みが目立つことは残念ですが杉のオーナー制度といったユニークな保護活動もあり、参考になりました。

日光・歴史をささえる?の存在と日帰り旅

 はじめに、歴史というものにはそんなに魅力を感じたことがありません。年号と歴史上の人物を対比して覚えることもさりながら、何よりも〇〇の戦い、〇〇の乱で誰かが勝った、負けたで天下を取ったという、血生臭いのが嫌いな訳で、決して社会科の先生の教え方が悪いのではありません。
 そんな私が歴史に対し少しだけ魅力を感じるのは、その時代によって造られた建造物の数々です。日本だけでなく世界の建造物は、その時代から今日、現在に至るまでさまざまなことがあったにも関わらず存在するのは歴史の重みを感じます。奈良、平安、鎌倉時代のものとすると約1300年、今回の日光の建造物のガイド説明を聞いていると江戸時代のものが多く、それでさえも約400年は続いています。昭和の中で「戦争」というものがありながらも残っているのは不思議です。(壊して欲しいとは言っていないので誤解をしないでもらいたいです。)
 話を変えます。私は前職、建設業に携わっていました。主として水まわりや電気など生活に関わることを設計、施工管理をしており、今でもその当時、お客様だった人から相談を持ち掛けられたり、近況報告を交わしたりしています。さて今回の建造物では現代のような照明や水まわりの設備は付随していたのでしょうか? 照明は蝋燭や松明を灯していたと思いますが、便所や台所、風呂と言ったものはその当時から作られていたのでしょうか? そこに何日、何時間いたにしろ、それらのどれかを使用し、利用をしていたと思います。何かの目的で来たとしても必要だと思いました。案内図になかったことと、これだけの煌びやかさを見せるには、その裏には・・・、とういう前職のこだわりです。
 今回の研修は、数日後に引率で行った修学旅行の下調べもあり、いろいろな場面で見逃しそうなところを見たり聞いたり、案内をしていただいたりして助かりました。
 私自身は日帰りで少し物足りなかったですけど、内容は研修旅行としては充実をしていました。ちなみに修学旅行は1泊2日の日程でしたが、夜の予定があり日帰りで帰ってきました。

日光旧街道ウォーキング

 今回の研修旅行で一番楽しみにしていたのは日光杉並木の街道歩きです。数年前から続けている旧東海道の街道歩きも島田を過ぎたあたりで中断したまま1年が経ちます。今回の街道歩きは絶好の足慣らしになるとともに、まだどのくらい歩けるか確認するにも最適です。
研修旅行の2日目午前中は霧降高原キスゲ平の散策。路線バスを降り、整備された遊歩道と階段を500m、高低差100mほどの行程を1時間くらい歩き、ニッコウキスゲの群生や、寡聞にして名前を知らない白や紫の花を愛でながら過ごしました。
 午後は楽しみにしていた日光旧街道ウォーキング。日光駅から下今市駅近くの「道の駅日光街道ニコニコ本陣」まで、左右の杉の巨木を見ながら、所々に昔の石畳の残る旧街道、約8kmを2時間ほど歩きました。決して遅いペースではありませんが無理せず歩けました。それもそのはず、日光街道は江戸から日光へは上り坂ですが、今回歩いたのはその逆コースで、なだらかな下りが続いていたからです。
 この日だけで万歩計は2万歩を超えましたが、それ程の疲労感や足の痛みもなく、「まだまだ歩けるぞ」と自己暗示をかけるにはうってつけの結果でした。
 聞くところではニッコウキスゲは2、3日前に開花したばかりとか。この時期に旅行を企画した幹事さんに敬服。その上、梅雨のこの時期にしては大した雨にも遭わなかったのは幹事さんの日頃の行いの賜物と感謝。つい「来年もまた幹事を…」と内心期待しています。